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堺屋太一氏が語る戦後日本型システム [よのなか]

元通産官僚で、第55〜57代の経済企画庁長官を務め、戦後日本のエポックメイキングとなった1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わった作家の堺屋太一氏は、戦後日本社会を支えた「三角形」があると言います。

①官僚主導・業界協調体制
②職縁社会・核家族
③日本式経営(終身雇用・年功賃金)


平成15年から働き始めた僕なんかは、①の所がピンと来ないのですが、以下詳細。
不足していた外貨(ドル)の割り当てや外国技術の導入、そしてなによりも生産設備の拡大には、通産省の許認可が必要だった。官僚の役割は、不足物資の配給から、過剰施設の抑制と過当競争の防止に、つまり供給制限の方に替わったのである。
通産省だけではない。運輸省も建設省も農林省も文部省も、同じことをしていた。そしてその背後には、予算と金融を握る大蔵省がいた。通産省など各省庁が「好ましくない」と見なした設備投資には、政府金融機関ばかりか、市中の金融機関にも融資しないように指導していた。官僚機構の支持や援助なしには、民間企業も事業ができない体制が出来上がったのである。
民間企業の側も、これに対応した。主要業界はそれぞれ全国組織(業界団体)を作り、官庁の示す設備投資や資金割り当てを談合によって配分することにした。そうすれば、新規参入者によって競争が激化する恐れもないし、設けた設備が過剰になったり、生産した製品が売り残ったりする心配もない。官庁の計画通りに生産すれば、官庁の指示通りの売り切れる。しかもその価格は、業界団体の期待する「適正価格=コスト+適正余剰」である。
こうして「官僚主導・業界協調体制」が生まれた。ここではすべての既成企業は、現有する規模に按分した形で設備割り当てを受けて成長、設けた施設は計画通りに稼働し、生産された製品は過不足なく適正価格で売れる。
企業は安定した収益をあげて拡大、従業員の地位は安定し、給与は年々上がる。上がった給与はコストとして、確実に価格に転嫁できる。官僚がコストを適正価格に折り込んでくれるのである。

山崎豊子の『華麗なる一族』を思い出します。


三つのサブシステムとして、以下のものをあげています。

①金融系列の企業集団
②没個性型の大量教育
③東京一極集中の地域構造

以下、②③についての補足。
太平洋戦争が始まる直前、日本は国際情勢が厳しくなる中で、限られれた資本と少ない資源で、できるだけ多くのモノをつくろうとした。そのためには、規格大量生産を確立することが重要だと考えました。
そのために三つのことをしました。第一は産業経済政策。官僚の主導であらゆる生産を規格化する。第二には教育。日本人全部を規格大量生産に向いた人間にする。そして、第三には地域構造。日本の国全体を規格大量生産に向いた配置にする。
第一の生産規格化は戦後もJIS規格などで引き継がれています。電力や鉄道の整備にも道路や建物にも、規格基準をつくりました。
第二の教育。どんな人間が大量規格生産に向いているのかというと、その一つは辛抱強いこと。その二は協調性。その三は共通の知識と技能の習得です。その4は個性と独創性がないこと。日本では、個性は不良だと摘発する。 第三の政策は東京一極集中の地域構造です。

なるほど、戦中から日本型システムというのは、出来上がっていったのですね。


第三の敗戦

第三の敗戦

  • 作者: 堺屋 太一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/06/04
  • メディア: 単行本


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ハマコウ

mino さん こんばんは

古くから教育は労働者育成のためだったのでしょうか…
by ハマコウ (2012-06-10 18:50) 

mino

ハマコウさん、こんばんは。

教育は子供達が豊かに生きる為のものですが、子供達が豊かに生きる為には、まず社会が豊かにならないといけないというのが戦後ニッポンの教育に課された使命だったのではないかと思います。

物質的に豊かになった今日では、教育のあり方も本質的な見直しが必要なのかもしれません。
by mino (2012-06-10 22:44) 

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