日米関係の再考察 『戦後史の正体』孫崎享著 [よのなか]
戦後日本は高度経済成長を果たし、政治的・経済的自立を成し遂げたように見えますが、アメリカからの影響(圧力)は今でも切っても切れないものがあります。
私が生まれた(1981年)後でも、
・85年のプラザ合意による円高誘導(①結果的にバブルを誘引します ②生産工場の海外移転により雇用が減少します)
・90年代の日米構造協議(①日本に対しGNPの10%を公共事業に配分することを要求し、「公共投資基本計画」により13年間で630兆円を計上し財政悪化を招きます ②大店法の規制緩和により商店街に閑古鳥が鳴きます)
・00年代の金融ビッグバン(外資系金融の参入、ハゲタカの闊歩、グローバルマネーの流入流出)
と続きます。
経済的な事象ばかりなのは、冷戦終結後アメリカは日本の経済力を大きな脅威とみなし、アメリカの対日貿易赤字が膨らむ要因は日本の市場の閉鎖性にあるとして、主に日本の経済構造の改造と市場の開放を迫ったからです。
80年代に日本が「ジャパンアズナンバーワン」と言われ、経済強国として世界に認知されるまでは、アメリカの日本に対する要求は政治的、軍事的なものが中心でした。
***
日本は太平洋戦争でアメリカを始めとする連合国に完敗し、日本政府は「連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」ことを約束し、降伏しました。
そして、1945年9月2日から1952年4月27日までの6年8ヶ月間アメリカに占領されました。
日本から賠償金を取らず、日本を世界第二位(今は三位)の経済国にしたアメリカに、多くの日本人は感謝の念を抱いています。
しかし、それは結果論であって、1945年に訪日した賠償委員長のポーレーは次のような声明を出しています。
また占領時代の6年間で、米軍駐留経費を当時の約5000億円、国家予算の2割から3割を米軍の経費にあてているのです。
しかし、「日本の生活水準を低水準にとどめておく」という政策は1948年に変更されます。
冷戦下のソ連との戦いのなかで、日本を防波堤として使うという考えが出てきたからです。
「ソ連への対抗上、日本の経済力・工業力を利用すること」が米国にとっての国益だと判断したのです。
つづいて朝鮮戦争が起こり、米国は「日本に経済力をつけさせ、その軍事力も利用しよう」と考えるようになりました。
朝鮮特需によって、日本経済は立ち直ることができたのです。
また警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、事実上の再軍備がなされました。
その後、講和条約、安全保障条約が結ばれ、日本は政治的、軍事的にもある程度の自立が果たされたかに見えます。
しかし、米国の基本的な考えは「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ことであり、それは現在も変わっていません。
***
そこで、「自主」路線を選択した首相は、CIAや米国からの圧力がかかっているマスコミ、検察などによって排斥されてきたようです。
こういった陰謀論的な本は、著者による推測や噂などが混じってどれが本当か分らなくなってくるものが多いですが、この本には著者の外交官としての経験やアメリカ側も多く含む数多くの証言などを基にしている為、最大のタブーといわれる「米国からの圧力」を軸とした日本戦後史として一つの明瞭な考察を与えてくれます。
【関連記事】
占領下日本の教訓
私が生まれた(1981年)後でも、
・85年のプラザ合意による円高誘導(①結果的にバブルを誘引します ②生産工場の海外移転により雇用が減少します)
・90年代の日米構造協議(①日本に対しGNPの10%を公共事業に配分することを要求し、「公共投資基本計画」により13年間で630兆円を計上し財政悪化を招きます ②大店法の規制緩和により商店街に閑古鳥が鳴きます)
・00年代の金融ビッグバン(外資系金融の参入、ハゲタカの闊歩、グローバルマネーの流入流出)
と続きます。
経済的な事象ばかりなのは、冷戦終結後アメリカは日本の経済力を大きな脅威とみなし、アメリカの対日貿易赤字が膨らむ要因は日本の市場の閉鎖性にあるとして、主に日本の経済構造の改造と市場の開放を迫ったからです。
80年代に日本が「ジャパンアズナンバーワン」と言われ、経済強国として世界に認知されるまでは、アメリカの日本に対する要求は政治的、軍事的なものが中心でした。
***
日本は太平洋戦争でアメリカを始めとする連合国に完敗し、日本政府は「連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」ことを約束し、降伏しました。
そして、1945年9月2日から1952年4月27日までの6年8ヶ月間アメリカに占領されました。
日本から賠償金を取らず、日本を世界第二位(今は三位)の経済国にしたアメリカに、多くの日本人は感謝の念を抱いています。
しかし、それは結果論であって、1945年に訪日した賠償委員長のポーレーは次のような声明を出しています。
①米国の賠償政策は、最小限の日本経済を維持するために必要でないすべてのものを、日本からとりのぞく方針である
②「最小限」という言葉は、日本が侵略した国々の生活水準よりも高くない水準を意味する
また占領時代の6年間で、米軍駐留経費を当時の約5000億円、国家予算の2割から3割を米軍の経費にあてているのです。
しかし、「日本の生活水準を低水準にとどめておく」という政策は1948年に変更されます。
冷戦下のソ連との戦いのなかで、日本を防波堤として使うという考えが出てきたからです。
「ソ連への対抗上、日本の経済力・工業力を利用すること」が米国にとっての国益だと判断したのです。
つづいて朝鮮戦争が起こり、米国は「日本に経済力をつけさせ、その軍事力も利用しよう」と考えるようになりました。
朝鮮特需によって、日本経済は立ち直ることができたのです。
また警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、事実上の再軍備がなされました。
その後、講和条約、安全保障条約が結ばれ、日本は政治的、軍事的にもある程度の自立が果たされたかに見えます。
しかし、米国の基本的な考えは「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ことであり、それは現在も変わっていません。
***
戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する「自主」路線と「追随路線」のせめぎ合い、相克だったということです。
そこで、「自主」路線を選択した首相は、CIAや米国からの圧力がかかっているマスコミ、検察などによって排斥されてきたようです。
私は日本のなかでもっとも米国の圧力に弱い立場にいるのが首相だと思っています。首相の職責はあらゆる分野にわたっています。もちろんすみずみまで目が届くはずもないので、首相に致命的なダメージをあたえることは実はそうむずかしくないのです。ですから米国はできるだけ、農水省や経産省といった省にではなく、首相の下に諮問機関を作らせ、そこに権限を集中させようとします。そうすれば圧力をかける手間が少なくてすむからです。
こういった陰謀論的な本は、著者による推測や噂などが混じってどれが本当か分らなくなってくるものが多いですが、この本には著者の外交官としての経験やアメリカ側も多く含む数多くの証言などを基にしている為、最大のタブーといわれる「米国からの圧力」を軸とした日本戦後史として一つの明瞭な考察を与えてくれます。
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こんばんは~
あ、先いかれました^^
いま予約中です。
今日帰りに寄った本屋のランキングで6位ぐらいだったかな。
by don (2012-09-12 23:34)
こんばんは~
面白い視点の本だったので、購入しちゃいました!
意外と売れているのは、この視点が新鮮で、かつ意外と受け入れられ易かったからでしょうか。。。
by mino (2012-09-13 23:15)